plymouth760

ペット業界に身を置く者として、また、様々な動物種を飼育してきた一飼育者として思う、ペットについてのアレコレソレ。

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小さなうちに親元から離れた犬が問題犬になるなら、もっと苦情が出てもいいんじゃない?というお話。

Q.1「生後8週齢以下で親元から引き離すことが問題であるなら、ペットショップの犬は問題犬が多いということになりませんか?」

これは実際、多いと思われ。
犬の行動学の本や躾の本では、生後8週間どころか12週目までを、社会化期(臨界期)としています。これはきちんと研究された結果。
自分の経験則でもそう感じますね。

Q.2「ペットショップからの購入した犬は、問題犬なので、訓練してもムダなバカ犬ってこと?」

実際は、きちんと躾ればなんとかなるケースがほとんどなんだけど、飼い主自身が「犬ってこんなもん」と諦めてるケースが多いですり「うちの子はバカだから...」と二ヤケ顔で無駄吠えや噛み癖の相談にくる飼い主さん多いです。
真剣味が無い。ハナっから二ヤケ顔なの。

Q.3「購入者から『ペットショップの犬は問題犬だよ』と苦情が出て、それが広まるはずでは?」

前述した「犬ってこんなもん」が象徴するように、犬を買う人のほとんどが、犬が本来備えている「能力の高さ」を知らない。警察犬や盲導犬を介して知ってはいても、それは「専門家による高度な訓練の賜物で、素人には無理」と、決めてかかってる。
または、単に求めるものが違う(求めるものは外見の愛らしさであり、共に暮らす暮らし易さは二の次)

実際、素晴らしく躾られた犬とそのオーナーなんてのは、ペットショップで働いていてもそうそうお目にかかれませんし、そういった犬を見抜くのには経験や知識も不可欠です。
そうした「家庭犬はこうあるべき」「犬との快適なライフスタイル」というお手本があちこちに結構いて、そういう犬との「共同生活」に憧れるところから犬のハマるのが、欧米。
日本の場合、買ってからどう暮らすか、とかが抜けてて、まず所有するのが目的になってる。
で、躾が悪かろうがなんだろうが、とりあえず可愛らしい犬連れてさえいれば、一目置かれるちやほやされちゃうってのが現状。
リーダーウォークもアイコンタクトも身についたお利口な雑種より、キャンキャン吠えまくりのカミカミなチワワや、飼い主そっちのけでグイグイ引きまくりのトイプードルに食いつくのが日本人。

本来は、QOLの向上、生活をより良くする為にペットを飼うはずなのに、その為に犬とどう向き合うかが大切なのに、犬を買えばQOL上がると勘違いしている。むしろ犬を飼ったことでQOL下がっちゃう人も沢山います。


Q.5「前述Q.4のようなことが起こると思うんだけど、そんな話は聞いたことがありません。」

以上のような、犬(または犬との生活)への無知、意識不足が原因かと。

Q.6「本当に8週齢の前に親元から離すことに問題があるの?」

これに問題があることは、先の(2013年9月の)法改正からも問題だったことはおわかり頂けるかと。
が、それ以上に問題なのは、買い手側の意識にあると思います。
車買うのに、性能や用途、燃費も考えずに、デザインだけで選んでるみたいなもの。そうした犬選びをしている以上は、生後8週だろうが12週だろうが、どんな犬を手に入れようが、持て余すことになります。
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  1. 2013/11/14(木) 22:12:26|
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BLANKEY JET CITYドキュメンタリームービー「VANISING POINT」感想

前乗りしてメロンソーダとチリドッグを食べようと、5時に待ち合わせ。フレッシュネスバーガーに足を運んだのだが、無い!メロンソーダもチリドッグも!何時の間に⁈ 止むを得ず7upとチーズドッグで妥協。
出鼻を挫かれたかたちだが、とりあえず会場に行こう。

昨日から考えていたのが、どんなスタンスで鑑賞しようかということである。
思い出を噛みしめるようにじっくり観るべきなのか、当時の精神年齢に戻って楽しむべきななのか?

会場入りすると、それっぽいお客さんがチラホラ。どんな場所でも、ブランキーファンはわかりやすいなー。でも、思っていたほどコワモテやイカツイ悪いひとたちはいなくて、結構おとなしめ。先行して都内で行われたLASTDANCEの爆音上映会ではモッシュも出たと聞いていたので、身構えてはいたのだがどうやらじっくり観ることになりそう。

新作映画の予告を終え、いよいよ上映開始です。

以下感想。
BLANKEY JET CITYというバンドは、
ベンジー=純粋さ担当
達也=野生児
照ちゃん=ストイックな求道者
というキャラクターの微妙なバランスで語られていたけれど、実はベンジーだけが純粋なのではなく、達也だけが野生なのではなく、照ちゃんだけが求道者なのではなく、全員が純粋で、全員が野生を持ち、全員が求道者でした。最強の3ピース。唯一無二。彼らに出会えて本当に良かった。それを確認する旅、という映画でした。
ライブ映像と楽屋でのメンバーのやり取りに、監督のキャプションが入るそして次の会場のライブ映像、楽屋、キャプション、その繰り返しという作り。
監督がテーマとしたのは、3人の「音の会話」。今までの音源や映像ではクローズアップされなかった、リズム隊の掛け合いやアドリブを、音の編集で際立たせて魅せたのは面白かったです。
中盤までは、照ちゃんの葛藤が目立ちます。やりたいことを言語化して伝えられないもどかしさ、苛立ち。
演奏レベル自体はめちゃくちゃ高いんだけど、ロジカルに勉強してきた人らじゃないから、最後の最後でまとめようとすると、抽象的な言葉や精神論になっちゃって、観てるこっちも照ちゃんが言いたいことややりたいイメージはわかるんだけど、照ちゃんから出る言葉の稚拙さに同じようなもどかしさを感じてしまいます。メンバーと観客を同じメンタリティに持ち込むこの辺の演出、上手いです。

全盛期の頃から、照ちゃんのテンションがどれくらい高いかで、そのライブの成否を測るような、それくらい照ちゃんはキーマンでして、舞台裏を覗いたらやはりそれもさもありなん、な状況でした。


で、名古屋の最終日あたりから徐々にわだかまりが溶け、楽しさ前回なセッションに続きます。今回の映画では、これまであまり音源化されてない、ライブ中盤に挟むアドリブセッションを沢山集めていました。お願いだからリマスターしてこれだけ集めたインストアルバム出してください。絶対買います。

そして終盤、ラストダンスもいよいよ終わり、ステージに置かれた照ちゃんのベースの残響音が響く。
フラッシュバックするツアー中の映像と残響音のシンクロがカッコいい!
あっと言う間の1時間強でした。
  1. 2013/01/26(土) 23:24:00|
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動物愛護まとめ

①愛好家の抱えるジレンマ
現状でも右肩下がりの殺処分ですが、動物を愛する者としては、やはりこのカーブを加速させて、一日も早く殺処分ゼロを目指したいところです。

そこで問題になるのが、私たち愛犬家や愛猫家など、ペットを愛する人間たちです。普通は、むしろ捨てる人らや虐待する人らと思われるでしょうけど、逆です。
私たちペットを飼ってる人間は、やはり自分が飼っているペットの魅力を周囲に知ってもらいたいし、理解して欲しいと思うはずです。
現代では、インターネットの普及と各ブログサービス、SNSによる全国的なコミュニケーションツールの発達により、誰でも気軽に情報が発信できるようになりました。
ペット飼育者は、毎日のように自分の愛犬や愛猫、はたまたトカゲやヘビまでの愛くるしい?画像をネット上にアップしては、心根のどこかで「みんなにこの犬種(猫種、爬虫類なと)の魅力を知って欲しい、飼う人が増えたらいいのに」と思っているはず。

しかしながら、サラリーマンの平均年収が300万円台、単身世帯と夫婦共働き世帯の合計が50%を超えるような状況で、犬の飼育頭数が中学生以下の子供より多いというのは異常すぎる。
本来なら、犬猫を飼うに足らない収入や資質の飼い主(生活保護世帯や、一日8時間以上の留守番を余儀なくされる環境、ペット不可物件での飼育者、などなど)が、この中に少なからず含まれているはずで、保健所への持ち込みというのは、そういう飼い主たちによるところがほとんどです。
殺処分カーブをさらに下方に加速させる為には、これらの飼い主たちの排除、つまり不心得な飼育者を減らす、「いかに飼わせないか」を目標にしなければならないのです。

殺処分減少の近道には、片や魅力を伝えたい、飼育者を増やしたいという飼育者の思惑と、もう片方では飼育の大変さや厳しさを伝えて飼育予備軍をふるいにかけなければならないという、ジレンマが高々と鎮座しています。
あるところから減少カーブがなかなか進まないのは、このジレンマに多くの飼育者が気付いていないままに一面的な情報発信をしているからだと、私は感じています。(業界は、ある意味気付いていて確信犯的に情報を出してる場合もありますが)
飼育者や業界側からすると、飼育者の減少はマーケットの縮小であり、それは現状のサービスや商品、流通を維持できなくするリスクを含みますから、これはなかなか「おまえはふさわしくないから飼うな」とは吠えにくいと思います。

しかし、それを実践して飼育者に厳しい審査や制限(収入や家族構成、公共の場で必要な躾の義務付けなど)を行い、かつペット社会が人間社会と上手く共生しているのが、ドイツやイギリスなどです。

愛犬家国家で知られるイギリスですら、犬より猫の飼育頭数のほうが多いといいます。
愛犬家だからこそ、犬という動物が飼うのにどれだけ大変かわかっている。犬を飼ったことなくても、犬を飼う重みと、犬と暮らす素晴らしさが、社会通念として理解されている。無理だと思えばあえて飼わない。猫や熱帯魚や他の選択肢を選べる。だからこそ、みんな犬を飼うことに憧れるし、犬を飼うことがステータスとして尊敬の対象にもなるわけです。

②ペット業界と殺処分の関係
ネット上では、いまだにこういう
「生体販売が悪い」
「ペットショップのせいで殺処分が減らない」
というデマを根拠無く発信する人らがいます。


実際は、毎年の殺処分数はほとんどの自治体で右肩下がりです。ペットブームと言われて久しく、犬猫の飼育頭数は毎年増加しており、それに伴いペットショップの数も10年前とは比べ物にならないくらいに増えました。
にもかかわらず、殺処分が減っているということは、殺処分がペットショップの生体販売とは因果関係が薄い、むしろペットショップ自身による終生飼育の啓蒙活動や、2006年の愛護法改正で義務付けられた販売時説明義務も効を奏していると考えられます。ショップ主催のしつけ教室や飼い方の指導も増えました。それらアニマルウェルフェア(動物福祉活動)が、少なからず殺処分減少に寄与しているものだと考えます。
もちろん、ペットブームに乗じて出版数を増やしたペット雑誌の記事内容や、フードメーカーの活動も例外ではありません。

また、こうした愛誤活動をする人らは、保健所からの引き取りや民間団体の譲渡会を勧めて「引き取り数」を増やすことばかりに目を向けがちだけど、本来ならばこういう「放棄数」を減らす取り組みこそ力を入れるべき。

繰り返しになりますが、国民一人当たりの平均年収が300万を下回り、中学生以下の児童数より犬の飼育頭数が上回るという現状で、年間20万頭以上の保護犬をきちんと飼養できるだけの受け皿がそうそう残っているとは思えないのです。
そんな現状で「明日までの命です!」と命を盾に善意の押し売りをすれば、当然こういう結果になる。

犬引き取りを登録制に 県動物保護管理センター 放棄防止目指す 滋賀 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/region/news/120515/shg12051502030003-n1.htm


愛誤団体が「放棄数削減」より「引き取り数増加」を目指す傾向が強い理由は、「数字として結果が見える」からです。

犬飼育の難しさや厳しさを啓蒙して、犬を安易に飼おうと考えていた人たちの考えを改めることは、間接的には無駄な繁殖や流通を抑えることで多くの命を救うことになるのですが、それで救われたであろう命というのは、数字に現れません。
しかし、とにかく譲渡さえしてしまえば、その後その犬猫がどうなろうとそれはその愛護団体の「譲渡実績」として数字が残ります。
愛護団体の多くが、運営費のほとんどを寄付や行政・企業からの援助に頼っています。
それら外部の寄付をする人たちが、何を基準に愛護団体の活動を評価するかと言えば、この「譲渡実績」が最も説得力を持つわけです。ですから、愛護団体にとって、この数字は死活問題でもあり、金ヅルでもあるのです。

結果として、評価を上げる為の無茶な譲渡が横行し、この記事のような対応が必要になってしまう。

本来なら、ペット税を設けそれを財源として動物愛護NPOに分配(分配額は譲渡実績だけで評価しない)する公的な仕組みを作るべきなのです。

③アニマルライツとアニマルウェルフェア

動物の権利(どうぶつのけんり、アニマル・ライツ、animal rights)とは、動物には人間から搾取されたり残虐な扱いを受けることなく、それぞれの動物の本性に従って生きる権利があるとする考え方です。

ところが、一部愛護団体がこれを曲解したり、ときには事実の捏造や過去の写真や情報を織り交ぜ、動物実験及び食肉や畜産の否定や毛皮反対、捕鯨反対のなどの過激な活動のスローガンとしました。
一部の過激な活動家や、同様の思想を持つ支持者はアニマルウェルフェア側の団体からはエコテロリスト、アニマルファシズム、種差別主義者などとも呼ばれており、その活動や思想は排他的で、社会から理解を得ようというよりは、支持者からの寄付を募る為のパフォーマンス的意味合いが強く見受けられます。

動物福祉(どうぶつふくし、英語:Animal welfare)とは、一般的に人間が動物に対して与える痛みやストレスといった苦痛を最小限に抑えるなどの活動により動物の心理学的幸福を実現する考えのことをいいます。
動物園や水族館などで飼育される展示動物、産業利用される家畜動物、研究施設などで科学使用される実験動物、一般家庭で飼われる愛玩動物、さらには野生動物も含めて、多くの動物は人間の利益のために動物本来の特性や行動、寿命などが大きく規制されていることが多いのですが、こうした利用を認めつつも、それら現場で動物の感じる苦痛の回避・除去などに極力配慮しようとする考えが動物福祉です。

動物の権利と異なり、動物福祉は人間が動物を利用することや殺すことを否定していません。ただし、やむを得ず動物を殺さなければならない場合は、可能な限り苦痛のない手法を用いること(安楽死)が求められます。具体的な方法には、銃、家畜銃、斬首、感電死、マイクロ波照射、捕殺罠などがありますがいずれの方法においても即死させることが必要であるとしています。

現在の動物愛護の本流、あるべき姿はアニマルライツではなく、こちらのアニマルウェルフェアだと考えられます。

アニマルライツが過剰に攻撃的にペット業界や販売者を批判するのは、仮想敵を設けることで支持者に具体的な目標を持ちやすくし、より強い支持力(寄付)を得ようとする心理的プロパガンダです。スポンサー側も、毛皮反対や動物実験反対の団体を金銭的に支援することで、簡単に「自然に優しい」「エコ」といったパブリックイメージを得ることができるため、化粧品のLUSHやアウトドアブランドのpatagoniaなどがスポンサーを表明しています。

④余談「日本人の愛護観と生類憐れみの令」

さて、日本版アニマルライツとも呼ばれる「生類憐みの令」。私の印象は少し違います。
日本人ならこの過去の法律は誰でも知っているかと思います。ですが、世間的には「人命を軽視し、犬の命を重く見た悪法」という認識が一般的です。
が、最近の研究ではこれはそうではなかったのだという論文も。
(後ほどwikiから転載)

個人的には、この「生類憐みの令=過剰な動物愛護=人命軽視=悪法」という、私達の多くが義務教育で当たり前のように受けてきた法解釈が、日本人の中で殺処分を無くすことに慎重(または殺処分自体を当たり前と感じる)な意見が多いことと無関係ではないんじゃないかなと考えてます。
500年以上経った今でも、ペットショップに並ぶ犬用商品の充実ぶりを見て「まるで御犬様々ねえ」というような会話は毎日のように聞かれます。
コレ、凄いことですよ。500年も昔の法律が、今も国民の価値観に影響を与えてるとするなら。それだけ根深い問題なんですよ。
義務教育でこの「生類憐みの令見直し論」がきちんとした形で伝えられるようになれば、もう少し世論も見方につけやすくなるんじゃないかなと思うんですよね。
愛護法というと、なにかとドイツが引き合いに出されますが、宗教も違えば死生観も異なり、このような歴史背景も異なる国に、違う国の法律を持ってきて「ハイ、どーぞ」って施行することに、すごく違和感を感じます。
その違和感って、やっぱり「御犬様」って言葉にあるんじゃないかなと。

以下、wikiより転載

徳川綱吉の治世については、前期は善政を行ったが、その後期は「生類憐みの令」などが主な理由となって、評価は低い。しかしながら、網野善彦らに端を発する江戸時代見直しの流れの中で、徳川綱吉の再評価をする動きはある。そして、この生類憐みの令についても正史に対する批判としての見直し論がある。


見直し論の立場に立つ山室恭子は、「生類憐みの令の目的は、綱吉の時代にはまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃することであった」と推測している。しかし「荒々しい」人々は、この意外性の強いお触れに対し、次々に裏をかいておちょくり、そのため幕府側も次々に詳細なお触れで対抗するという、ある意味で不幸なループに陥り、そのため事実をはるかに上回る「面白い話」として後世に伝えられてしまったのではないか、としている。また、6代将軍家宣や儒学思想に基づく新井白石らの政治をことさらに良く見せようとする意図もあったと推測している。ちなみに白石は綱吉の将軍就任に功績のあった堀田正俊の家に仕えていたが、正俊の死後の堀田家は、綱吉によって何度も改易されるなど何故か冷遇されている。おかげで白石は浪人生活をするはめになり、ために白石が綱吉に対して個人的な怨恨を持っていた可能性も否定できない。

また、当時のキリシタンは肉食を推進していた為、この令の発布によって動物殺生を発見させ、隠れキリシタンの摘発を促進したという説もある。この説を主張する者によると「生類憐みの令は、些細な殺生を禁じ、違反者に対して厳罰で報いた悪法である」というものであるが、その根拠は現時点では確認されていない。

当時の処罰記録の調査によると、ごく少数の武家階級の生類憐みの令違反に対しては厳罰が下された事例も発見できるものの、それらの多くは生類憐みの令に違反したためというよりは、お触れに違反したためという、いわば「反逆罪」的な要素をもっての厳罰であるという解釈がある。町民階級などに至っては、生類憐みの令違反で厳罰に処された事例は少数であるとする。また、徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保の日記には、生類憐みの令に関する記述があまりなく、重要な法令とは受け止められていなかった可能性が強いのではないかと推論している。

また、生類憐れみの令が遵守されたのも江戸近辺に限られ、地方においてはほとんど無視されていたという見解もある。『鸚鵡籠中記』の記述によると、尾張藩においても立て札によって公布はされたものの、実際の取り締まりは全くなされておらず、著者の朝日重章自身も魚捕りを楽しんでいた。親藩においてもこのような状態であった以上、前述の元禄の大飢饉において、飢饉の最中の東北地方において生類憐みの令が厳しく取り締まられたという事は到底考えられない。飢饉の最中に人間が禽獣に襲われる事はよくある話であり、生類憐みの令と特に関連があったとは考えにくい。

他に、犬の収容と飼育も治安維持を主眼としていた可能性がある。当時の往来は現代からは考えられぬほど野犬の危険度が高く、大名屋敷で放し飼いにされた犬が野犬化してこれに拍車をかけた。刑場付近では人肉の味を覚えた凶悪な野犬が徘徊し、また前述のように飢饉ともなれば所構わず野犬の被害(咬創、狂犬病)が続出した。この法令で4万匹の犬を収容していたとされるが、江戸市街には10万匹近い犬がいた為、その犬が更に野犬化したら、江戸の治安を維持する事は適わないだろう。

また、厳罰説を正しいと仮定した上での弁護論もある。生類憐みの令は処罰された側から見ると悪法に見えるが、当時、まだ戦国時代の「人を殺して出世する(賃金を得る)」がごとき風習が未だ根強く、病人や牛馬などを山野に捨てる風習や、宿で旅人が病気になると追い出されるなどの悪習などを改めるための法律であったと考えれば、厳罰を以って処すことの是非を軽々しく評価はできない。また、捨て子の禁止とその保護も生類憐みの令には含まれていた。尚、生類憐みの令がきっかけで庶民にも犬を飼う習慣が出来たとする説も存在する。
  1. 2012/11/15(木) 11:59:59|
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生物濾過にありがちな誤解

まず、濾過能力ってなんだろう?
誤解してる人が多いけど、濾過容積(濾過材の総表面積)が増えれば、バクテリアも沢山増えて濾過能力が上がる、という勘違い。
これは、どんなに濾過材増やそうが、濾過面積が広い濾過材使おうが、飼ってる生体が出すアンモニアの量が変わらない以上は、バクテリアも増えません。

例え話で説明すると、濾過材ってのは労働者が暮らすマンション兼仕事場。
労働者は、もちろんバクテリアのことです。
で、仕事とは、アンモニアを亜硝酸に作り直す仕事です。
バクテリアとは、「酸素をエネルギーにしながら、アンモニアを亜硝酸に作り直す仕事をする労働者」と考えて下さい。
さて、そこで、「濾過材を増やす」または「濾過面積が広い濾過材に変える」ということは、いわばこのマンション兼仕事場をより広く大きくするということです。
一見、バクテリアも増えそうに思えますが、残念ながらそうはなりません。働かざるもの食うべからず。肝心の仕事が増えなければ、いくら仕事場が広くなろうが住居を用意しようが、労働者はそこで生活はしてくれません。
これは、バクテリア剤を添加しても同じです。
住処があり、労働者がいても、仕事が無ければやがて食い詰めた連中は死んでしまいます。
逆に、仕事(アンモニア)も沢山あり、住居も充分で、労働者を沢山連れてきたとしても、外部フィルターでエアレーション無し、水温高め、水草もごく僅かというような低酸素状態なら、その僅かな酸素分のバクテリアしか生きていけません。

このように、複数の要因から結果が、それらの要因の中で最も小さいものに追従することを「最小律」といいます。最小律は、水草の肥料吸収などでも同様なので、理解しておくと何かと便利です。ホントなら、グラフとか見ながらのほうがわかり易いんですけど。


一応、グラフ見つけたんで貼っておきます。ただ、このグラフは水草の肥料吸収に関してのグラフなんで、N、P、Kをそれぞれアンモニア、濾過容積、酸素量なんかに置き換えて脳内補完して下さい。

本来なら、この話の下に、前述のアンモニアから作られた亜硝酸を、さらに硝酸塩に作り直す労働者たちが存在するわけですが、話を簡略化する為に端折ります。

そこで話を水槽に戻します。
現状、アンモニアも亜硝酸も検出されないようなら、バクテリアは事足りているということで、そこに濾過材を足したりより広面積な濾過材に変えたところで、バクテリアが極端に数を増やしたりということはありませんし、別に換水頻度が減ることもありません。
「余力がつけられる」というだけです。
今後、過密気味に飼育数を増やすような予定が無く、かつ現状安定しているなら、濾過材にお金をかけるよりは、他の工夫を考えるほうが良さそうです。

「濾過能力が高ければ、水換えの頻度は下がる」というのも勘違いされやすいです。
濾過能力というものを、アンモニアから硝酸塩に変換する「硝化サイクル」と考えると、濾過能力が高くなればなるほど、効率良く硝酸塩が生産されるということになりますから、ほっとけばpHはどんどん下がります。ですから、生物濾過能力を高めれば高めるほど、水換えの頻度は増えてしまいます。
じゃあ、水換え以外で硝酸塩を減らす方法は無いか、ということで注目されるのが、「嫌気性細菌による脱窒」や「植物による窒息固定」です。
が、これらのことも含めて「濾過能力」と言ってしまうと誤解が生じやすいので、アクアリウムでは一般的に濾過と言えば「好気性バクテリアによる硝化サイクル」のことを指します。
また、付随して吸着濾過や物理濾過というものが出てきます。

で、「じゃあ濾過能力を高める為に、有効濾過面積が大きな濾過材にしようか」と、実際に変えてみても、全部ウール仕様から生物濾過との併用に変えた、などの大きな変化ならともかく、現状機能している生物濾過材があるなら、ぶっちゃけ大きな差は感じられないでしょう。
A社の濾過材で50匹分のアンモニアを賄えるとして、B社の濾過材60匹分のアンモニアが賄えるから高性能か?という、単純に数値化できるものではないからです。
魚の大きさや種類、底砂の量や温度などの条件が絡む為、全く同じ条件で比較することが難しいですし、比較する意味もよくわかりません。
だからこそ、メーカーも濾過材のスペックを表示するにあたり、「一個あたりの表面積約一m2!」といった表記になるわけです。
要は、濾過能力の範囲内での飼育を楽しめればいいのですから、濾過能力のMAXをどこまで伸ばすかよりも、現状の濾過能力がどれくらいなのかを把握することです。
濾過能力(硝化能力)が高いからと、過密に大量の魚を詰め込めば、今度は換水に追われるハメになります。

濾過材選びで重要なのは、どちらかというとその有効面積よりも、メンテナンス性やコストパフォーマンス、耐久性などで考えるべきでしょう。

メーカーによっては「脱窒も可能」と謳う商品もありますが、本来脱窒というのはとても緩やかに、ゆっくり行われるもので、一般的な飼育水槽で換水不要になるほどの脱窒を期待するなら、60cm水槽に対して、同じくらいの濾過層を用意しないと、硝酸の発生速度に追いつかないのではないでしょうか(⇦かなり憶測)。
それよりは、植物による窒素固定のほうが、より早く確実に、安定して硝酸塩を吸収できると感じます。
  1. 2012/06/07(木) 18:38:37|
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食事とストレス

みなさんよく「ストレス」って耳にしますよね?ご自分でもよく使う言葉かと思います。
ネット上の質問を見ても、犬が急に噛むようになりました、吠えるようになりました、下痢するようになりました、散歩に行きたがらなくなりました、etc...
「ストレスですか?」

すごく多いです。

そんな疑問や不安に対して、

「ストレスですね」
「ストレスでしょう」

そんな獣医さんや回答、これもまた多いです。

んなわきゃねえだろう、と。

じゃあ、ストレスってなんなのよ?
なんでもかんでもストレスのせいにしときゃあいいと思ってね?

ストレス無くせば犬も人も健康に生きられるの?ストレスはあってはならないの?

とりあえず、みなさん、Wikipediaあたりで「ストレス」について調べてみましょう。

はい、調べましたね?
物理的に言えば「負荷」生物学的には「歪み」となります。

ストレスというと、精神的に抑圧されたり、欲求が見たされない状態、なんてのを連想しますが、ストレスはそれだけではありません。暑さ寒さ、筋肉的な疲労や空腹感、睡眠不足といった「負のストレス」から、美味しいものを食べた喜びや、外出から飼い主が帰宅した、好きな匂いがするなどの「快のストレス」もあります。

これだけ広い範囲の刺激を、十把一絡げに「ストレス」と言うのに、犬に起きた異常の原因をストレスの一言で片付けられるわけがないんです。

調べて頂いた方はお気付きでしょうが、実際に問題になるのは「ストレスが過剰に続く状態」であって、適度に快不快のストレスを体験することは、生き物が充実して健康に過すには必要不可欠なんです。

筋肉は、ストレスをかけなければ強くなりません。
ある程度の寒暖を体験させなければ、体温調節の機能や免疫力は高まりません。
辛いことがあるから、楽しいことがより楽しく感じるし、楽しいことがあるから、辛いことも堪えられる。

と、ここいらで話を食生活に戻します。

私は爬虫類や魚も飼育してるんですが、爬虫類や魚は毎日餌あげません。
蛇なんかは半年くらい餌あげないこともあります。トカゲや亀でも一週間餌を抜くことはザラにあります。
動物園でも、ライオンやトラなどの肉食動物には毎日餌あげません。2~3日置きです。
別にそれは虐待したいからじゃなく、そのほうが健康に育つからです。
もちろん、爬虫類や魚と犬とでは代謝の仕組みから違うので、一週間メシ抜きなんてことをやれとは言いません。


ここで言いたいのは、「飢えさせる」って悪いことですか?ってことなんです。

疲れた内臓に、お休みをさせてあげましょうということです。

経験上、人間にせよ犬や猫にせよ、“適度に”空腹を体感させることは、生き物本来の生命力というか、健全な代謝能力を引き出すような、そんな気がしてたんですね。

TVなんかで、サバンナの映像で、目の前をインパラやシマウマが悠然と歩いてるのに、くつろいでピクリともしないライオンの映像なんか見たことないでしょうか?
彼らは、一度満腹になると無駄に狩りをしません。狩りそのものにもエネルギーを使いますし、食べたものを消化吸収して余分なものを排泄するにも、これまたエネルギーを使います。
そんな無駄なことをするなら、じっとして内臓のメンテナンスにエネルギーを回しましょう、というのが彼ら肉食動物のライフスタイルなわけです。

で、先日とある本を読みましたら、そこでも「一週間に1日はプチ絶食日を作り、内臓を休ませましょう」みたいなことが書かれてたんですね。

それ読んで「ああ、経験から感じてたことは間違いではないのかな」と、なんとなく自分に自信が持てたんですけどね。

肉食動物は、当然ながら肉を食います。肉ってのはタンパク質ですから、体内ではアミノ酸に分解され、吸収されます。
その際に発生するのがアンモニアで、これは高い毒性があるので、腎臓でこしとりオシッコとして排泄するわけです。
また、人工のドライフードには、様々な科学物資や過酸化脂質が含まれています。それらを無毒化するプラントがの役割を果たすのが肝臓です。
腎臓も肝臓も、体に不要なものを濾し取り排泄させる、言わばフィルターの役割をしますから、毎日食事をしていれば、やがて目詰まりや故障を起こします。
そこで、絶食日を設けて一度フィルターをリセットしましょうというわけです。


もちろん、基礎代謝が高い仔犬に絶食なんかしたら低血糖やら発育不全やら起こしますし、猫が長期に渡って絶食すると肝機能障害起こすことくらいは知ってます。
「飢える」と書くと語弊あるかもしれませんが、なにも病的なほどに飢餓状態にしろなんては言いません。
“適度に”です。

その“適度”がわからない?
観察しましょう。
少なくとも、健康な成犬なら一日程度餌抜いたくらいじゃ病気になったりしませんから。
で、体重が落ちたり痩せたりするならまた考えればいい。

その本では絶食日には「葛湯」を与えることを推奨していました。
葛には、腸内粘膜を保護する作用があることと、適度に空腹感を満たしてくれる効果があるからだそうです。
葛粉は高価ですし、売ってる店も限られますので、手に入らない場合は、擦り下ろしたリンゴや、無糖のフルーツヨーグルトなんかもオススメです。

もし試してみようって方は御参考に。

日本には「腹八分目」という言葉があるように、普段の食事も常に満腹になるまでや規定量を与える必要は無いと思います。
「ちょっと足りないかな?」くらいでいいんです。

人間の成人病や生活習慣病も、「飽食の病」と言われます。「満たされている」状態が長く続くことは、生き物には好ましくないのかもしれませんね。
  1. 2012/05/24(木) 19:33:11|
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